名古屋からの沖縄移住

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17.03.08

オバアブログ3@名古屋

『昭和20年終戦の年 私は10歳でした。

 私にとっては3月とは冬でも春でもなく、肌寒い陽気 庭の雑草が猛々しい空襲の季節。

昭和20年3月11日昼頃から12日朝方まで(要するに真夜中)
東京から名古屋をB29の大群が襲った。

名古屋は3回の大空襲でほぼ全滅。

その中で我が家も含まれる。 3月12日 私にとって消えようのないあの日がやってきた。

東京から名古屋へ家族で引っ越して私は3歳くらいだそうで(自分では覚えてないが)
3歳から10歳(小学校3年生)まで過ごした。
3月11日の昼頃 空襲警報が発令されすぐB29の爆音が東から近づいてきた。
軽い投下音に続いて低い音。
焼夷弾が落ちてくるぞーォ!!と誰かが叫んだ。
雨あられと落ちてきた。 ザァーッポンポンさらにカンカン!!と甲高い衝突音 耳が痛い程響いてきた。
皆んな一斉に防空壕(堀穴のこと)に避難した。
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時間の経過は定かではないが 音がやっとやんで振り返ると 何十軒あった家々が 
ななーぁんと焼け野原になっていた。もちろん我が家はなにもない。
東京湾から突進したおびただしい数のB29を見た。
怖いというより空から降ってくる焼夷弾は
 太陽の光でキラッキラッとまるで花火が落ちてくるようで(その日は晴天)美しかった。
無差別焼夷弾爆撃である。

その後泣きながら焼け跡を片付けているかあちゃんの後姿を見て 悲しくってそばにいけなかった。
周辺の人達も皆んな同じである。
空襲の後、父ちゃんが1日働いて、うどんが2把しか買えないムチャクチャな時代
金があっても物がない、着る物もない。中学生になってもツギ当ての上にツギ当てをして通った。
しかしうちよりビンボーでボッロボロの格好で中学に来ていた同級生の男の子がいた。

戦争はやっと終わりを迎えた。
世の中も我が家もすっごくひもじくって食べ物も満足になく
敵軍に怯えて息をひそめて毎日を過ごした。 意味のない戦いと思っていた。
こんな不毛なことを経験した私たち年代。

空襲にあうまで、7年間過ごした名古屋の家の片住まいを今もはっきり覚えている。
四軒長屋の真中が私たちの家族、向かえの一軒は沖縄の人で 
名前は赤峯さんといって7人家族だった。
その両横の十二軒程の長屋に朝鮮の人達が住んでいて朝鮮の子供達とよく遊んだ。
おじさんもおばさんもいい人だった。

戦争が終わった後、たしか翌年の昭和21年春頃
「朝鮮へ帰ります」と挨拶に来た。

彼らは幸せになっただろうか?』


※後日談※

「うちよりビンボーでボッロボロの格好で中学に来ていた同級生の男の子」は
中学を卒業してから数年後の同窓会で会った時には社長になっていたそうだ。

投稿者 名古屋おんな : 17.03.08 20:58

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